水は「坎」
- 田中重光
- 2023年6月7日
- 読了時間: 2分
今日は水曜日。
ということで「水」の話ですね。
昨日は「火」の話をしました。
振り返ると、
火は
あまねく照らす
智慧。
文明。
みたいな話をしました。
で、今日は水ということで
水というのは、
数千年をもつ伝統的な智慧、
易経の中では
「坎」という字を当てます。
これは「土」+「欠」=「坎」
つまり、
土が欠けて、穴があいている状態。
これは要するに 土に穴があいてると
穴にに水が溜まるので。
雨が降ると、水溜りができますね。
そんな状態です。
そこに、車輪がはまったり
足がはまって、つまづいてしまったり
ということで、危ない。
まあ、危険・困難みたいなことを
「坎」というのは表します。
ちょっと意外ですよね。
水というのは古来より、
水が多ければ
川から溢れて 氾濫したり
逆に雨が少なければ
日照りが続いて、農作物が取れなかったり
ということで
この水というのは恵みにもなり
逆に脅威にもなるというですね。
水 そのものには変わりはないんですけども
それを受け取る側の人間の受け止め方次第で
どちらにでもなる。
人間にとって
良いものにも悪いものにもなる。
これはあくまで。
人間自体の受け止め方
次第ということです。
まあよく人間が「良い」「悪い」という判断をしますが、
その価値基準 自体は人間が作り出したものでしかありません。
それ自体は尊いものです
が、人よりも大きな立場にとってみれば
良いも、悪いも
ないのかもしれません。
そういった意味で、
水をはじめとした自然に
人は生かされているのですね。
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