さて
毎月 FaceBookで
易神紋ライブというものをやっているんですけども、
このライブは
易経
神道
家紋・個紋
の各専門家3人が
テーマに沿ってお話をして
考察 探求をしていくというものです。
それによって日本文化、伝統的な日本の考え方というものを
掘り下げていくということをやっております。
次回は、今月は6月17日(土曜日)21:00〜です。
(まだ案内出ていませんが、リンクを貼っておきます。)
今日はその事前打ち合わせなんです。
6月17日のテーマは
仁義礼智信の中でも、
「智」です。
ちなみに、今年は弘法大師・空海の生誕1250周年ということで
前回5月は弘法大師をテーマにお話ししました。
弘法大師は仏教の世界ですので
智慧と慈悲というものが
重要とされます。
その「智慧」のテーマを引き継ぐ形で
今回は、「智」ということになりました。
今朝は、
江戸時代の本から、良い言葉がないかなというのを探していました。
論語の言葉に
「知者は惑わず、仁者は惑わず、勇者は懼れず。」
という句があります。
知者は惑わない。
仏教の世界でも
智慧というのは煩悩を滅したり、
周りの人たちにも、その知恵の力が及んで
皆さんを幸せに導く というような
ことがあります。
自分に 顧みて言えば、
智慧があれば、惑わない、ということですね。
集義和書という
江戸の初期の本がありまして
一般には販売されていることは
ほとんどないですが
非常に良い本です。
この中から
易経の流れを汲んだ言葉がありましたので、
ちょっとご紹介したいと思います。
長くなりますが、ご容赦ください。
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<原文>
知者は動き、仁者は静かなり、と。
動静は相似ずといへども、
ともに有徳の人なるか。
云。是二人にあらず。
一氣の屈伸、
天の陰陽なるが如し。
一動一静、互いに其根をなせり。
よく動くものはよく静かなり。
知者は 周流して世にとどこほらず。物にまどはず。
故に楽しむ。
流水を見て 嘆息す。
左右其源に逢ふ。
知の象あればなり。
仁者は萬物をもって一体とす。
死生禍福とともに 吾有なり。
ゆえに
生々にして亡びざるものは命ながし。
無欲にして静かなり。
山の象あり。
徳性の
動いて楽しむを知といひ
静かにして壽(いのちなが)しを 仁といふ。
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<超訳>
あるひとが聞いた。
知者は動き、仁者は静かである。
それは反しているように見えるが、
どちらも徳がある立派な人と言えるか?
もう一人が、答えて言うには、
知者と仁者は、そういう人たちがいるのではなく、
一人の中に、知者の部分と仁者の部分があるのである。
そのさまは、あたかも、
尺取り虫が、伸び縮みして前へ進むようでもあり、
氣が、散じたり、集まったりするようでもあり、
天に陰陽、日月、昼夜があるかのようでもある。
一動一静と言っても、それは同じ根っこにあるのである。
よく動くものは、よく静かである。
知者は水を楽しみ
仁者は山を楽しむ
というが、
それは、
知者が、いろんなことをうまく流し、立ち回るためである。
知者は、世に滞留を生まない。自分自身もまどいがない。
知者は、
水と自分が似ていると、思いを巡らし
流水を見ては、その源流まで思いを馳せ、
一を聞いて、十を知る、かのように、
先の先まで見通してしまう。
これが知のあらわすところである。
仁者は
萬物をもって一体とする。
全宇宙と一体となっている。
死も生も、
禍も福も
吾が内に有している。
ゆえに
生き生きとして
ほろびることなく
宇宙と同じように
不滅性をもっている。
無欲で、静か。
その姿、
そして心は、
まるで、山のようでもある。
「動いて楽しむを知といひ
静かにして壽(いのちなが)しを 仁といふ。」
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